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2007-10-30 23:48 | カテゴリ:レビュー(アニメ)
ジャンル:アニメ・コミック テーマ:アニメ
小説・秒速5センチメートル小説・秒速5センチメートル
(2007/11/14)
新海誠


 新海誠監督のアニメーション作品「秒速5センチメートル」の小説版が、11月14日に発売されます。今回、なんと新海監督ご自身が執筆されているらしく、それだけで新海ファンの私にとって待ち遠しい作品です。
 「小説・秒速5センチメートル」発売に先がけ、今まで見た新海アニメーションと作品の小説版について、何回かに亘って振り返ってみようと思います。
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2007-10-27 04:40 | カテゴリ:レビュー(児童文学)
ジャンル:小説・文学 テーマ:ブックレビュー
ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)
(2000/06)
C.S.ルイス、瀬田 貞二 他

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 ルーシーは衣装ダンスを通り抜けることでナルニア国に入ってしまう。「タンスを通り抜けると異世界であった」というのは、それだけでも充分素敵だが、タンス自身しっかり意味を持っているようだ。この古典作品を今更紹介しても仕様がないので、作品の舞台・ナルニア国へと主人公達を繋げる「タンス」について、考えてみる。
 タンスは衣装をしまって置く所。着られなかった衣服をしまっておく場所だ。私達が着ている「衣服」――大げさに言えば私達が選択した生き方や振る舞いは、「タンス」の中に抑圧された違う「衣服」や、着られなかった別の可能性の上にあるものだ。衣装ダンスは、私達の「生きられなかった可能性」が集まって造られた無意識界を意味している、といえる。
 もしかしたら私達が子供から大人に成長していく課程で脱いでしまった「衣服」達、その中にも可能性はあったのかもしれない。ナルニア国のような世界が半ズボンの中に存在していた、と考えると正直私は「惜しいことしたなぁ」と思う。冬も半ズボンを履いていた頃の自分に、戻りたくなってくる。あの頃、私の前にも「ナルニア国」のような世界に繋がる、素敵な可能性はあったんじゃないのか――

 ――なんて馬鹿馬鹿しいことを空想しながら、「ナルニア国物語」を再読する。すると、ページをめくり返すナルニアの世界は、全く色褪せていないことに気がつく。ブラックコーヒーを飲む今になっても、本の中で時間が止まったように半ズボン少年の心に戻って読むことができる。そうだった!物語の中には、いつでも戻れる時間や世界が、待っているのだ。読み終えると、そんなありふれた有り難さが、初めて感じた時のように湧き上がってきた。

 去年公開された「ライオンと魔女」、そして来年公開の「カスピアン王子の角笛」と、次々と映画化される「ナルニア国物語」 これをきっかけにまた多くの子供達がこの作品を手に取り、タンスの中の異世界に思いを馳せるのだろう。そうやってまた一人、また一人とこの物語の虜が増えていくのだと思うと、何故だか嬉しくなってくる。
 そして昔「ルーシー」だった方々にも。本棚で何年埃をかぶっていても、開けばたちまち幼い冒険者に戻れる確かな魅力があることを再確認して欲しい。何度も感じて欲しい。
 ファンタジーの古典「ナルニア国物語」
 世代をつなぐ衣装ダンスを、通り抜けてみよう。

関連サイト
ナルニア国物語~第1章・ライオンと魔女~映画公式サイト

ナルニア国物語~第2章・カスピアン王子の角笛~映画公式サイト

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2007-10-24 01:54 | カテゴリ:レビュー(漫画)
ジャンル:小説・文学 テーマ:ブックレビュー
ヴィンランド・サガ 5 (5) (アフタヌーンKC)ヴィンランド・サガ (5) (アフタヌーンKC)
(2007/10/23)
幸村 誠

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 幸村誠さんのヴァイキング英雄叙事詩・第5巻。
 イングランド軍に追われるデンマーク第二王子・クヌート。絶体絶命のクヌート王子をイングランドの猛将トルケルから奪い返し、この護衛に自らの命運をも賭けたアシェラッド――しかし、一世一代の大博打は、彼の思わぬ方向へと進んでいく。
 相手の裏をかき、陸路を選んだアシェラッド軍であったが、それが災いして雪で身動きがとれなくなってしまう。さらに不運なことに、身を隠していた村さえもトルケルにばれ、冬の逃亡を余儀なくされる。この混乱に乗じて、クヌート側近のラグナル暗殺という策をこうじるアシェラッドであったが、死に際のラグナルから、クヌートがすでにスヴェン王から見限られていたことを知らされる。立て続けに運を逃すアシェラッドに対し、味方の中にも不穏な空気が流れ出す。そしてトルケル軍に追いつかれる寸前、ついに仲間割れが起こる――。
 
 5巻を読んでの感想はアシェラッドが「らしくない」ということに尽きる。トールズの命さえも獲った、戦において天賦の嗅覚を持つ智将・・・であるはずが、ことごとく運気を逃し最後には自分の命さえ危うくする。この悪循環は、クヌート王子護衛に就いてからのものだろう。王子捕獲にトルケルが関わっていることを知りながらも、無理を通してクヌートを助け出した時点ですでに「らしく」なかったのかもしれない。
 そもそも疑問なのは戦場で逃げ回ることしかできない、貧弱な王子にアシェラッドがそこまで固執する理由だ。ラグナルから真実を聞かされた後でさえ、彼ははクヌートを捨てない。状況から考えても、クヌートを守り抜くことにメリットはない。執拗なまでにクヌートにこだわっているようにもみえるアシェラッド。何か理由があるのだろうか?
 「オレの主はオレがついていきたくなるような男であるべきだ」
 「真の王がアヴァロンからお戻りになられるのを待てなくなったのさ」
 時おり口からこぼれる「王」という言葉。ラグナルが死んだことさえ認められない弱々しい王子に、アシェラッドは一体何を見ているのだろうか? もしかしたらそれは見当違いではないのかもしれない。裏切った味方に捉えられる寸前、彼らはトルケル軍と激突。「アシェラッド以外は全部殺って良し」というトルケルの一言で事態は一変する。そこにアシェラッドを呼び戻しに来たトルフィンが割って入り、トルケルとトルフィンの一騎打ちに。「トルフィン、お前が勝ったら逃がしてやろう」と言い放つトルケル。アシェラッドにとって、この一連の流れはより大きな運を手にするための一つの壁なのか、それともやはり命運尽きたのか。
 トルフィンとトルケルの戦いに、すべてが委ねられた。

 実際の歴史をみれば今後の大きな展開は予想できるのだが。アシェラッド、トルフィン、クヌートなどなど、物語の鍵を握る人物達の動きは全く予想ができない。イングランド―デンマークを統べることになる「北海帝国」の大王誕生までに、どんなドラマが繰り広げられるのだろうか。続きが楽しみでならない。
 1013年という時代の、人々の「生きる感覚」さえリアルに伝えてくれる作品。すごい漫画だ。

関連サイト
ヴィンランド・サガ(特別予告編)

ヴァイキングの歴史

ヴァイキングの歴史(海外のサイト)

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2007-10-22 21:12 | カテゴリ:レビュー(児童文学)
ジャンル:小説・文学 テーマ:ブックレビュー
「彼は自分の意志で影と向かい合い、生きた手でそれをつかまえようとした。~両者はいつか切っても切れないきずなで結ばれていた」

ゲド戦記 1 影との戦い (ソフトカバー版)ゲド戦記 1 影との戦い (ソフトカバー版)
(2006/04/07)
アーシュラ・K. ル・グウィン、Ursula K. Le Guin 他

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 「影」とは何だろう?
 ゲド自身であり、ゲドが最も恐れるものだ。ゲドが抱える焦りや不安。劣等感や恐怖、未熟さ・・・そのようなマイナスの力の集合なのかもしれない。
 ゲドの師匠オジオンは、やがてそれに向き合わなければならない、とゲドに説く。
 
 背を向けているときはとても恐ろしく感じる。でも、しっかりと見据えれば、それは怯えている自分の姿でしかない。 「影」とゲドの戦いは、私達に自分の中の無意識への道を示している。とても哲学的だ。
 無意識、といえばフロイトやユングだが、ユングは童話の中で主人公とアンビバレンスな関係にある問題や事物を「影」と呼んだ。 ファンタジーにおいて「影」は物語のテーマを含んでいることが多い。 しかし、「影」そのものを敵、つまり主人公の到達点とする作品は少ない。「影」は実体ではないからだ。主人公にとって重要な要素であっても、目標にはなりにくいのだ。

 この作品は主人公が「影」そのものと戦った。いや「影」本体と真正面から向き合った作品だ。直球すぎる、と思う設定だが、それがなんとも見事に描かれている。
ファンタジーだからできる、深い作品。物語だからこそ伝えられるメッセージを非常に巧く、表現している。
 
 まさしくファンタジーの最高傑作の一つだろう。

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2007-10-19 18:00 | カテゴリ:レビュー(漫画)
ジャンル:アニメ・コミック テーマ:漫画の感想
今秋アニメ化された漫画「スケッチブック
作者は小箱とたんさん

~「スケッチブック」の良さを考える~
 「スケッチブック」はとある福岡郊外の高校美術部を舞台にした4コマ漫画。個性豊かな美術部員達と主人公梶原空(かじわらそら)の日常を描く。
 取り立てて大きな展開がある訳でもなく、4コマ以上必要なドラマもない。夢中になるほど面白い作品かといわれると、自信を持って薦められる作品でもない。実際、好き嫌いがはっきり分かれる作風だ。
 では何が良いかというと、最大の魅力は「全く役に立たない発見」が作中にぎっしり詰っているということだろう。そういう言い方をすると一種の雑学本として捉えてしまいそうだが、それともちょっと違う。雑学本は役に立たないまでも知的好奇心をくすぐるような面白さがある。「スケッチブック」には確かに普段聞いたことがないような虫や植物も沢山登場し、雑学本的な面白さもない訳ではないのだが、知的好奇心をくすぐられるかといわれると首を縦には振れない。では何なのか。作品の魅力は雑学にさえならないような、もっと小さな発見の中にある。
 例えばテレビのCMを見て笑う時、スーパーで買い物をしている時、空を見上げてボーとしている時、知ってはいるがよく知らないものについて徒然と考える時、頭の中に一瞬取りとめもない考えやアイディアが浮かぶことがあるはずだ。しかし、言葉にするにはあまりにもくだらなくて、時間の無駄だと忘れてしまう諸々の「発見」が、日常の中には無数存在している。
 そういった日々のなんでもない発見を4コマに写し取ったのが「スケッチブック」だ。読んでいると「あぁ、あるよなぁ」「そうそう、こういうこと考える」という小さな共感を多く覚える。自身が体験しながらも言葉にするに至らなかった発見を起承転結の4コマにまとめられることに、一種の爽快感と心地よさがある。平凡な日常を個性的に生きるキャラクター達。自分が役に立たないと拾い上げなかったものを、嬉しそうに見つけ出す美術部員達の日常は、せわしく生きることが当たり前になっていた感覚に、新鮮な風を送り込んでくれる。まったりほのぼのとしているけれど、読めば読むほど周囲への意識が鋭く、深くなっていく。
 焦らずじっと見つめて、スケッチブックに書き留めるような感覚。味わい深い「くだらなさ」を持つ稀有な作品だ。
スケッチブック(4) (BLADE COMICS)スケッチブック(4) (BLADE COMICS)
(2007/09/10)
小箱とたん

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 スケッチブック第四巻。氷室、田辺先輩の「師匠」が登場。二人の師匠ということは・・・?

関連サイト
スケッチブック~full color's~(アニメ公式サイト)

2007-10-18 01:57 | カテゴリ:レビュー(語学)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:**本の紹介**
日本語練習帳 (岩波新書)日本語練習帳 (岩波新書)
(1999/01)
大野 晋

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 著者は国語学者、大野晋さん。
 単語、文法、語用法、読解などを5つに項目立てし、問題を解き、解説による答え合わせを行いながら読み勧めていく作品。傍らに筆記用具とノートは必須だ。
【1章】「思う」と「考える」の違いから展開される第一章。言葉の微妙なニュアンスを問う。意味はほぼ同様でありながらも用法の大きく異なる漢字について語源を辿ることでその違いを解き明かす。単語を解剖する方法と、単語への感受性を鋭くする習慣を身につける。
【2章】主述の関係をパターンに分け、「読みやすい文章」と「読みにくい文章」の違いを問う。日本語の基本は主述を結ぶ「は」と「が」にある、と言い切る著者の文法論が光る。
【3章】うっかり書いてしまいがちの、「のである」口調と「~が」の連続した文章。読む側に与える印象と読みやすさを考えながら、問題点を抽出、添削する。
【4章】1~3章までの内容を用いて文章の「縮約」に臨む。還元、読解、創作能力を総動員して行う「縮約」によって、文章の骨格を見出し日本語の体系を実感する。この作品の醍醐味といえる章。
【5章】最後に、敬語の用法を尊敬、謙譲、丁寧語それぞれのルーツを辿り理解する。

 各章の内容は上記のようなものだ。巻末には問題の配点表があり、自分の得点から現状の日本語への理解力が振り返ることができるようになっている。偉そうに色々と書いてしまったが、私の自己採点は250点中160点。(ちょっと甘くつけたのに・・・)まだまだ理解不足だと実感させられる。
 テストは悔しい思いをしたが、読み物としてもこの作品は面白い。著者は読者の文章技術向上のために本作を書かれているが、表面的な技術習得などは全く目的としていない。問題と向き合い、考え、答えを出す過程を通して、日本語の持つ奥深さと味わいを実感して欲しいと思っているのだろう。読み勧めるうちに、言葉に対し感覚が研ぎ澄まされていく実感と楽しさを覚えた。また、有名な学者や作家であっても歯に衣着せずにズバリと切る著者の言葉は、力強さと確かさを持ち、新鮮であり刺激的であった。
 大きな概念や現象を捉える時、そして発信する時、自身を形作る言葉の本質を掘り下げた人とそうでない人では言葉の重みが違う。著者は志賀直哉をズバリと切った。志賀作品をほとんど読んだことのない私にはそこに何の判断も下せないが、それをするだけの言葉の掘り下げと向き合いが、著者はできていることは頷ける。そしてそれは実際に何度も自問し、書き出してみないと習得できないものなのだろう。
 著者がなぜ練習帳という形式をとったのか。最後に作中から一文引用する。

 極意というのは実は簡単なものです。その言葉だけを見るとそれは簡単です。しかし、その言葉が指す事実がいかに広く深いかを、実際を通して感得できるに至ってようやく、極意書の文章の意味が分かるようになったといえるでしょう。

関連サイト
ことばをめぐるひとりごと


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2007-10-17 02:54 | カテゴリ:レビュー(エッセイ)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:ブックレビュー
使える読書 (朝日新書)使える読書 (朝日新書)
(2006/10)
斎藤 孝

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著者は教育学者・齋藤孝さん。

「本を読むという行為は、まず一度、自分の考え方や価値観を捨てて相手に憑依すること」
 その上でこう語る。
「本当になにかを使えるようになるためには、対象に対して強い立場に立たないとだめ」

 ブックレビューといいつつも齋藤さんは一見好き勝手に自分の経験を話しているだけのようだが、(もちろん好き勝手話しておられるのだが)対象の作品が読者に喚起する、その本質は外さない。

 理解力、感受性を総動員して読む。
 それだけに留まらず、洞察力を駆使して内容をかみ砕き、そこに自己体験を重ねて作品から一つの概念を抽出する。
 なんてアグレッシブな読書だろう。
「一本の刀を鍛えるイメージ」
「日常生活の他の事象と連結すること、読書の大きな喜びであって、理解の切り口を手に入れることが読書の主な狙いです」
 「刀」とは「物の見方」のこと。

 受け身にならない、読書法を示してくれる。良書。
 これは、「使える」

関連サイト
齋藤孝のホームページ


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2007-10-16 02:25 | カテゴリ:レビュー(語学)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:読書に役立つ情報
伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)
(2001/11)
山田 ズーニー

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 文章を相手に向けて発信する際、様々な問題に直面する。
 伝えたい、と思っている内容をどうすれば自分の心のままに伝えることができるのか。思い描く結果に辿り着くことができるのか。
 著書・山田ズーニーさんはそれら要望に、丁寧にかつ実践的な方法を提示している。

「伝わる文章」「揺さぶる文章」
 それにはまず書く側の「自分」の心にあるものをしっかり言語化し、自身に説明できるようにする。その際、論理的な段階づけを行うことで、文章の外観を客観的に判断する術を紹介している。
 その上で文章を受け取る「相手」の視点を考えて、推敲してみる。より客観的に、というよりは相手の受け取り方や視野を自分の主観に重ねる、といった感じ。二重眼鏡で、それでも歪んで見えないか、と立ち止まる思考を鍛える。

 「自分」をいかに純粋な形で言語化して、それを相手にうまく伝えられるか。
 これは文章に限ったことではなく、言葉を使用するすべての状況で求められることであり、身につけたい術である。

 著者はこう述べている。
 つまり、自分に忠実でありつつ、かつ人に関わることを目指す。(中略)自分の正直な姿を表すところは、自分の中ではないからだ。自分の中ではない。紙の上でも、パソコンの上でもない。『相手の中』だ。
ここに大きな壁が立ちはだかってくる。

 私達は日常、言葉をなにげなく使っているのだが、果たしてうまく使えているのだろうか。
 著者は言葉を「不自由な道具」と表現するが、まさにその通りだ。ここまで論理的で明快な、「伝達術」の本を読んでも、いや読んだからこそ、改めて言葉や文章の難しさや奥深さに唸ってしまう。
 自分の使っている言葉を、再度見直す上でも価値のある本だと思う。お薦め。

関連サイト
おとなの小論文教室。


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2007-10-10 00:11 | カテゴリ:レビュー(小説)
ジャンル:小説・文学 テーマ:読書感想文
佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)
(2004/01)
島田 洋七

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 戦後間もない昭和30年代。この本の作者島田洋七さん(作中・昭広少年)は佐賀に住む祖母の‘ボロ家’に預けられ、どこまでも節約しまくるがばい(すごい)祖母との貧乏生活が始まる。 不謹慎なことに、この本を読みながら思った。
「あぁ、いいなぁ」
 ばあちゃんと昭広少年の生活はまさに貧乏の中の貧乏。川に捨てられた、痛んだ野菜や果物を棒に引っかけて「収穫」しその日その日をつなぐ生活。当時そんなことを言ったらぶん殴られるだろう。 それでも、作者とがばいばあちゃんとの生活が羨ましくて仕方がない。

 モノが溢れかえっている時代、人と人との繋がりが稀薄になった時代だからこそ、がばいばあちゃんの言葉は胸を打つ。
「拾うものはあっても、捨てるものはないと」

 この本が自分自身に問いかけてくる。
 身の回りにあるものを大切に使っているだろうか?
 身の回りにいる人達を大切にしているだろうか?
 どこまでが「消耗品」なのか?

 がばいばあちゃんは何でも大切にする。物も。人も。
 捨てようなんて、思わない。
 だからばあちゃんの周りはいつも明るいのだ。
 大切に。大切に。大切に…
 どんなに大切に使っても、物はいつかは汚くなる。
 けど使い込んだ分だけ、心は美しくなっていくのかもしれない。

 「ああ、貧乏で良かった」とがばいばあちゃんは言う。

 貧乏に憧れるのではない。
 一つ一つを大切に想うチカラを、この本は教えてくれるのだ。

関連サイト
島田洋七オフィシャルサイト


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