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2008-08-16 14:43 | カテゴリ:レビュー(児童文学)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:今日の一冊
扉のむこうの物語
作・絵:岡田淳

行也のクラスで出た冬休みの特別課題は“自分で課題を決めて取り組む”というもの。想像するのが大好きな行也は「物語を一作品書く」という課題に決める。
さて、どんな作品を書こうか。
お父さんが仕事で小学校に行くといういうからついていく。だって、誰もいない小学校は物語の起こりそうな予感でいっぱいだからだ。使われていない倉庫の中でストーリーを考え出した行也だが、ふとその倉庫に一人の女性が現れる。女性は自分を「ママ」と名乗った――

物語を作る過程の物語、という着想が面白い。倉庫の中で行也が発見した「物語に使えそうなもの」が、彼らの冒険の先々で登場する。自分で作った物語の中に入り込むというのは、執筆する上での作家の想像体験の一つとも考えられるが、「自分の作った世界に入りたい」という作者の願望のようにも思える。「物語が自ら歩き出してしまった」という後半部は、冒険をドラマティックに彩るための演出としてではなく、この時行也が物語を本当の意味で「生み出した」ということを暗示しているのだと思う。
読み終わると、自分の物語を作りたくなってくる。
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2008-08-16 13:57 | カテゴリ:レビュー(児童文学)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:**本の紹介**
「ふしぎな木の実の料理法」
ふしぎな木の実の料理法―こそあどの森の物語 (こそあどの森の物語)

作・絵:岡田淳

こそあどの森シリーズ第一巻。
人と関わるのが苦手なスキッパーの元に、旅をしているバーバさんから手紙と荷物がやってきた。
それは「ポアポア」とよばれる木の実と、その木の実の料理法をだった・・・のだが。
肝心の料理法が、運んでる途中雪で濡れた為にほとんど読めなくなっている。所々読み取れる部分から推測すると、どうやらこそあどの森の住人の誰かが料理法を知っているらしく、教えてもらうようにとのこと。だけどスキッパーは誰かに会うのがとても苦手。どうするスキッパー?

魅力的なキャラクター、こだわりのある住人達の家、色彩風味豊かな描写。読みながら季節を感じ、食欲をそそられ、スキッパーと共に一喜一憂できる素敵な作品。小学校低学年向けの簡単な作品なので、まだ読んでいない方がいればぜひ気軽に手にとってみてほしい。
2008-08-16 01:41 | カテゴリ:レビュー(児童文学)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:今日の一冊
もうひとりのぼくも、ぼく
作・絵:岡田淳

~あらすじ~
一人(かずと)は自分の家の裏山である「みわけ山」におかあさんと一緒に登る。なぜみわけ山というのか?「身をわけて、つらい気持ちや身体の方を山に癒してもらう」という言い伝えがあることを聞く一人。
山から帰ろうとした時、ふとヤマモモの木の根元から声が聞こえた。「ほいほい。ぼんやりする子はここにおのこり。さっさとする子は里におかえり」
気がつくと、さっさとおかあさんに付いていく自分が見え、ぼんやりヤマモモの根元に残る一人も、またそこにいた。
なんと、一人は「身分け」されてしまったのだった――


12ページあたりでいきなり不自然に行が下がる。「あれ?印刷ミスかな」と思うが、これは作者のアイディア。下がり段が「ぼんやり一人」の視点、上がり段が「せかせか一人」の視点で物語が進む。当初、怠け者でどうしようもない「ぼんやり」と、時間を無駄なく使う「せかせか」の対比として描かれるが、徐々に「せかせか」している一人が不安定になっていく。一人(かずと)は、「せかせか」も「ぼんやり」も合わせて自分が“一人”になれるんだと、みわけされて気がつく。

いろんな面があって、全部合わせて君なんだよ。

作者のあったかいメッセージだ。
2008-08-15 23:51 | カテゴリ:レビュー(児童文学)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:**本の紹介**
二分間の冒険 (偕成社文庫)二分間の冒険 (偕成社文庫)
(1991/07)
岡田 淳

商品詳細を見る


この世には絶対的な力を持つ竜がいる。
竜の元へと一緒に向かうヒロインがいる。
そして竜を倒せる「唯一の剣」が、ここにある。

異世界に飛ばされてしまった悟(さとる)は、大いなる意志によって動かされている一人のヒーローであり、竜を倒せる唯一の人物であり、物語の運命を誰よりも握る確かな主人公である。
悟自身だけでなく、読者さえもそう思うはずだ。

しかし、そうではない。
その思い込みこそが、竜を倒せない理由なのだ。気が付くのは悟ではない。同じように竜を倒すためにヒロインと共に旅をして、同じように「竜を倒す唯一の剣」を持った太郎である。
これは一体どういうことだ。主人公は僕じゃなかったのか・・・竜の館に集まった全員、自分こそが主人公だと思っていたのだ。
そこで初めて、特別な「誰か」なんていないという現実に思い至る。

現実を生きる時、自分が世界の中心だと思っている人は少ないと思う。が、それは本心だろうか?
誰しも、物語の中心にいたいと思うはずだ。だからこそ、「竜を倒す唯一の剣」の存在を固く信じてしまう。
竜を倒すことができる、本当の武器とは何なのか。ぜひ読んで再確認してほしい。
また、僕達が戦っていかなければいけないのは「竜」ではなく、竜の裏に潜む何かであることをしたたかに訴えている作品でもある。
二分間って長いなぁ。
2008-08-04 01:23 | カテゴリ:レビュー(児童文学)
何故「びりっかすの神さま」なのか?
それは、びりをとった子にしか見えない存在だから。

びりっかすの神さま (新・子どもの文学)びりっかすの神さま (新・子どもの文学)
(1988/10)
岡田 淳

商品詳細を見る

「びりっかすの神さま」
作・絵 岡田淳

~あらすじ~
何をするにも順位を付けられるクラスに転校してきた始(はじめ)は、教室をヒラヒラと飛ぶ不思議な男を発見する。何故か始にだけ見える、その男。男は自分のことを「びりっかす」と名乗った。
ひょんな出会いをした二人だが、始はびりっかすに興味を持ちもっと話がしてみたいと思うようになる。びりっかすを見るためには、どうやらクラスで何かにつけ「びり」を取らなければいけないらしい。

そうだ、全部びりになってやろう!
始の起こしたこの行動が、やがてクラスの皆に影響を与えていくことになる――



読み始めた時は、これは得点化教育へのアンチテーゼなのかな?と思った。でも違った。
読み進めていくうちに、得点化云々の話はどこかに行ってしまい、ビリになるための勇気と協力が、次第にクラスメイトを結び付けていく。
そして最後はビリや1位を取るためではない、一生懸命「頑張る」とはどういうことか。その本質を問う内容へと変わっていく。最終的に、読み始めた時に感じたテーマとは全く違う所に物語が落ち着いた。
以前岡田淳さんの講演を聞いた時、物語は「テーマ」から入る場合と、「雰囲気」から入る場合があると言っていた。
この作品はどうだろう?
最初は「得点化教育の反省」というテーマから作られのではないかと思う。けれど「びりっかす」を通して始達クラスメイトの間に確かな繋がりが生まれはじめた時、物語の本筋が自然と変わっていったのではないか。
ただ得点化教育に文句をつけるだけの内容だったら、ここまで面白くはならなかったと思う。
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