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2008-08-20 15:38 | カテゴリ:レビュー(小説)
ジャンル:本・雑誌 テーマ:今日の一冊
太陽の塔
作:森見登美彦

 第15回日本ファンタジーノベル大賞受賞。
 理屈っぽい男子大学生が元カノへの未練をジレンマにモンモンとした毎日を過ごす、という日常生活を面白おかしく、どこか切ないモノローグで綴った作品。
 ・・・という、ありふれた紹介文では収まらないほどに、異常な描写と思考が連続する痛快極まりない内容だ(笑)

 読み始めた当初、これは精神異常者を題材にしたストーカー小説かな?と思った。でも違った。
 確かに、異常すぎるほど豊かに展開される主人公の妄想と思考は変質者まっしぐらなのかもしれないが、そこには一般的な風潮や文化を否定したがる「哲」学生特有の青臭さと、意地が垣間見られる。
 一般的なもの・・・それは特に男女の色恋についてだ。主人公は(そして彼のかけがえない友人達は)自分がそんなものに現を抜かすような俗深き人間ではない、と主張し続ける。俺は孤高だ、俺が答えだと叫び続ける。(無論心の中で)

 一般的な道楽を正常とするなら、彼らは異常な存在だ。けれど異常な自分を肯定し続けることが彼らにとって正常なことであり、俗にまみれることが逆に異常なことなのだ。異常=異界に身をおく彼らにとっては、むしろ現実こそ異世界である。しかし、どうしても元カノである水尾さんが忘れられない主人公は、その境界線が真実ではないことを、うすうすと感づいてる。もっと言ってしまえば答えは分かっているのだ。でもそれを認めたくないからこそ、彼はさらに異常な所業を、とひたむきに頑張るのである。

 読者を異常な妄想譚で欺き弄び、お腹いっぱいになるまでシュールな笑いを提供してくれる本作品だが、主人公の意識にひっそり隠れている健気で臆病な想いに気づいた時、この小説は夏の青空ばりの清清しさを心に残してくれるはずだ。お薦め。
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2008-05-13 10:33 | カテゴリ:レビュー(小説)
ジャンル:小説・文学 テーマ:読書感想文
白い牙
作:ジャック・ロンドン
訳:白石佑光
(新潮文庫)

~概略~
北の荒野を犬橇が駆け抜けていく。二人の男、ビルとヘンリは飢えた狼の群れから逃げていた。ふと気がつくと6匹いた犬が5匹、さらに次の日には4匹と減っていく。火や銃、そして人間の知恵を知った賢い牝オオカミがその群れにはいた。巧みに二人を出し抜き、追い詰めていくオオカミ達。極限状態の中、犬と相棒を失い自らの生命をも失いそうになるヘンリは間一髪助け出されるが、彼は荒野に棲む牙の恐怖を痛いほどに知るのだった。
飢えを満たしたオオカミの群れは、やがて分裂し牝オオカミの争奪が起こる。季節を越え、勝ち残った片目の老オオカミと牝オオカミの間に新しい生命が生まれる。産み落とされた命の中にあって唯一生き残ったオオカミは、幾度かの荒野のの戦いを経験した後人間と出会い「ホワイト・ファング」と名付けられる。強い両親の下に生まれたホワイト・ファングは荒野と人間社会の両極を経験し、あらゆる不遇の中で孤独と凶暴性を獲得していく。やがて人間が敷した弱肉強食のリングの上で「けんかオオカミ」の異名をとり見世物にされるホワイト・ファング。ついに自分よりも大きな力に出会い、命を奪われそうになるが・・・。その時、ホワイト・ファングにある邂逅が訪れる――

 アメリカの作家ジャック・ロンドンの代表作であり、オオカミが持つ凶暴性や野性を鋭く細やかに描写した傑作だ。この「オオカミ視点」の秀逸さには脱帽。どこまでも本能的で、原理的な行動と動機。ホワイト・ファングの惨忍さ・したたかさが生の本質として、力強く伝わってくる。

 読み進めながら頭から離れなかったのは「何故これほど野生的な感性を映し出せるのか」という疑問だ。
 作者ジャック・ロンドンの生い立ちを調べてみると、彼はまさに「激動の人生」を体現するような人物だった。
 貧困街に生まれ、多くの仕事に手を出し失敗すると、牡蠣泥棒になる。(しかし翌年にはそれを取り締る役職につく)アザラシ船の乗組員として日本を訪れ、世界恐慌時代にはデモに参加、アラスカのゴールドラッシュにも加わったりと活動は多岐にわたるが、どれも不運に見舞われ志半ばで終えている。その後日露戦争の前線に赴きルポライターとして活躍した。
 作家としてはアザラシ漁船での体験を綴ったルポが賞を得た後徐々に頭角を現し、30代半ばにはアメリカでトップクラスの高給作家になった。結婚は2回。破局後の電撃結婚は強く非難された。「狼の館」という自前の建設物が放火によって消失した後、次第にエネルギッシュだった彼の行動に影がさし、40歳でモルヒネ自殺をした。

 ジャック・ロンドンの生涯は40年とあまりに短いが、その中身は驚くほどに濃い。彼は17歳まで厳しい貧困の中で暮らし、その後26歳位まで生活は好転しない。けれど短編集刊行後、彼は一躍脚光を浴び、高給作家に変身する。また、牡蠣泥棒に始まり最後は日露戦争のルポライターと、自らの命を顧みず、行動の幅はどんどん拡大していく。
 彼の生い立ちで印象的なことは、彼の生活が「極限状態の連続」であったことだ。富と貧困、成功と断念、何より生と死のギリギリの境界線に常に立ち続けている。彼の研ぎ澄まされた感性は、0と100しかないラインを交互に踏む進んだ、類稀な実体験に裏打ちされたものなのだろう。

 夕食が用意されるのは当たり前で、今日は学校をサボろうかどうしようかと真剣に考えている自分と、一寸先にはいつも闇があることを感じていたジャック・ロンドン。見えているものが違って、当然かもしれない。
 読後はホワイト・ファングの大団円に興奮しながらも、少し恥ずかしい気持ちになった。
2008-03-24 18:34 | カテゴリ:レビュー(小説)
からくりからくさ

作者は梨木香歩さん。

以前一度挫折した作品。どうしても諦められず、再度挑戦してみた。

古い日本家屋に住み込む4人の女性達の生活模様を描く。
この作品の前身には同著「りかさん」という作品がある。主人公・蓉子(ようこ)と彼女が祖母から譲り受けた市松人形「りかさん」との、奇矯な交流を描いた作品だ。なんとこの「りかさん」は蓉子と会話することができるのだが、本著「からくりからくさ」ではりかさんの魂はどこかを旅していて、その帰りを蓉子が待ち望んでいる、という冒頭から始まる。
りかさんの秘密を、唯一共有できた祖母が亡くなり、りかさんも喋らなくなった。
「りかさん」と地続きの物語でありながら、「からくりからくさ」は前身の要素をほとんど欠失させることで1作品としての独立性をも確固たるものにしている。

祖母の住んでいた日本家屋を、女子学生のアパートとして使うことになり、そこに機織を学ぶ紀久と民族模様を学ぶ与希子、外国人留学生マーガレットが、蓉子と共に住み込む。

作品のテーマは「繋がり」である。
血縁や文化の繋がり。理解や共感、怒りや怨念、願いや祈りの繋がり。4人の、対照的な性格やそれぞれの生き方が紡ぎだす重なりを通し、衝突と共有を繰り返しながら、物語は4人をある邂逅へと導いていく。
作品で描かれる全ては、いなくなったりかさんが蓉子たちの元に戻り、そしてまた旅立つまでの大きな流れに織り成された一つ一つの模様だ。色彩であり、その連なりでもある。4人の邂逅はりかさんにとっての新しい旅の一歩であり、蓉子達の世界でのそれは、一つの命の終わりと始まりとして描かれている。

要素の取捨選択により鮮鋭化された、点としての物語ではない。
これは、人が生きる流れそのものを表そうとした作品なのだ、と思う。


しかし物語を大局的に捉えようとすることは、「からくりからくさ」を語る上では無粋なことなのかもしれない。
結局、この作品の魅力は、それぞれの人物や歴史が絡まってできた模様一つ一つにあり、また、4人の女性が持つ力強さとしなやかさ、成長していく過程の中にこそ、見出せるからだ。
梨木香歩さんはエッセイ「ぐるりのこと」や「春になったら苺を摘みに」にて、他者の持つ人生と自分が重なり合う瞬間をいとおしむように綴っている。

共感してもらいたい
つながっていたい
分かり合いたい
うちとけたい
納得したい

私たちは
本当は
みな
        
               (新潮社「春になったら苺を摘みに」より)

紀久、与希子、マーガレット、蓉子の中に流れる温かい営みは
作者自身が持つそれであり、以前よりも繋がりが希薄になったと嘆かれる、現代人へのメッセージのようでもある。
僕が「からくりからくさ」を諦められなかったのは、この作者の人生にどこかで「つながっていたい」と、思ったからかもしれない。
DeleteFilesAtRebuild 1
2008-03-17 23:58 | カテゴリ:レビュー(小説)
気取らず、笑って暮らしたいだけなのに――(本文より)

作品名:家なき鳥、星をこえるプラネテス

 作者は常盤陽さん。原作は幸村誠さん。モーニング連載の漫画「プラネテス」の番外編である。
 「プラネテス」は宇宙開発の盛んな21世紀後半、宇宙に浮かぶゴミ"デブリ"が社会的問題として認知されるようになった時代の物語だ。
 主人公はハチマキでもタナベでもない。なんと、ハキムだ。

 ハキムが何故、木星往還船フォン・ブラウン号に爆破テロを仕掛けたのか。
物語はハキムの成長を描き、彼が宇宙飛行士を夢見る少年から、世界を憎むテロリストへと変貌していく過程を鮮やかに映し出す。

 ハキムの純粋な宇宙への夢が、軍隊に入り生活していく中で少しずつぶれていく。周囲の欲望や傲慢さの中で、自分自身を見失い、やがてすべてに絶望していくハキム。緻密な世界観と豊富な軍事専門知識の中に織り込まれた、ハキムの心理変化こそ、この作品の白眉である。
 また、ハキムだけでなく彼を取り巻く多くの登場人物にその都度スポットライトを当てて、心情を照らす。
 その描写は、登場人物一人一人に対して誠実に向き合っているような・・・そんな、作者の人間性が出ている気がした。

 作品としての完成度は、さほど高いとはいえない。テロに至るまでの展開や動機にやや疑問が残り、中盤までの盛り上がりを、重要なテロのシーン、その後のエピローグまで繋ぎきれなかったからだ。
 しかし、素晴らしい作品であることに変わりはない。砂漠に住めない鳥アジサシに自分を重ねて涙するハキムの姿には、一読の価値が十二分にある。
 
 資本主義に塗れた、私利私欲がひしめき合う世界。物語の時間は約2080年頃だが、2008年とどれだけの差があるのだろう。
 幸せに生きるための答えや結論など、示されてはいない。けれど誠実に生きたいと願いながら道を踏み外した男の生き様が、作者のまっすぐな言葉で紡がれている。ぜひ、手にとって欲しい一作だ。
2007-10-10 00:11 | カテゴリ:レビュー(小説)
ジャンル:小説・文学 テーマ:読書感想文
佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)
(2004/01)
島田 洋七

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 戦後間もない昭和30年代。この本の作者島田洋七さん(作中・昭広少年)は佐賀に住む祖母の‘ボロ家’に預けられ、どこまでも節約しまくるがばい(すごい)祖母との貧乏生活が始まる。 不謹慎なことに、この本を読みながら思った。
「あぁ、いいなぁ」
 ばあちゃんと昭広少年の生活はまさに貧乏の中の貧乏。川に捨てられた、痛んだ野菜や果物を棒に引っかけて「収穫」しその日その日をつなぐ生活。当時そんなことを言ったらぶん殴られるだろう。 それでも、作者とがばいばあちゃんとの生活が羨ましくて仕方がない。

 モノが溢れかえっている時代、人と人との繋がりが稀薄になった時代だからこそ、がばいばあちゃんの言葉は胸を打つ。
「拾うものはあっても、捨てるものはないと」

 この本が自分自身に問いかけてくる。
 身の回りにあるものを大切に使っているだろうか?
 身の回りにいる人達を大切にしているだろうか?
 どこまでが「消耗品」なのか?

 がばいばあちゃんは何でも大切にする。物も。人も。
 捨てようなんて、思わない。
 だからばあちゃんの周りはいつも明るいのだ。
 大切に。大切に。大切に…
 どんなに大切に使っても、物はいつかは汚くなる。
 けど使い込んだ分だけ、心は美しくなっていくのかもしれない。

 「ああ、貧乏で良かった」とがばいばあちゃんは言う。

 貧乏に憧れるのではない。
 一つ一つを大切に想うチカラを、この本は教えてくれるのだ。

関連サイト
島田洋七オフィシャルサイト


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